FC2ブログ
きょう、聖歌隊の練習のとき、
讃美歌122番「緑も深き 若葉の里」という曲の指揮をしていて、
ふと、学生時代にお世話になったM先生のことを思い出しました。

作曲ゼミの先生で、おもに作曲法・和声学・対位法を教わったのですが、
特に アナリーゼ(楽曲分析)の講義が楽しくて楽しくて、
クラシック音楽のさまざまな楽曲を、感性でも理性でも愛する、ということの幸せを
M先生から 身をもって知らされたように思います。

音楽を聴いたとき、
「この曲、なんとなく好きなんです、理由はわからないけど」とか、
「この部分、なぜか気持ちがいいんです、うまく説明できないけど」とか、
最初は、たしかに、そんなふうに直感的に感動するところから始まったりもするのだけれども、
どうして好きなんだろう? なぜ気持ちがいいんだろう? と よくよく 理屈っぽく追究してみると、
旋律や和声や構成や強弱や速度や調性や音色や、その他諸々、
作曲者の さまざまな意図やテクニックが、次第に 言葉で説明できる形で見えてきたりします。

そのように楽曲を理論的に分析することをアナリーゼというのですが、
M先生は、バッハでも、シューマンでも、ラヴェルでも、バルトークでも、
とにかく楽しそうにピアノを弾きながら、
同時通訳のように、音楽に被せて解説をしてくださるのでした。

「このメロディーが切ないのは、ここが こうなって こうなってるからだね」
「ここに来てハッとさせられるのは、構成が こうなって こうなってるからだね」
「この和音と この和音を こんなふうに連結させたところが 画期的だね」などなど。

作曲者に問いかける感じ、寄り添う感じ、
少しずつ少しずつ、音楽の作り手の気持ちに近づいていく感じ、
ますます、その曲が身近に感じられ、大好きになっていく感じ、
懐かしいです。

さて、なぜ、讃美歌の練習中に、M先生の記憶がよみがえったのかというと、
「めぐみににおい、愛にかおる」という美しい歌詞とメロディーの部分で、
あの先生ならきっと、音楽のかぐわしさに酔ったように、
目を閉じて、首を左右に振りながら、
花の香りを吸い込むようなしぐさをなさりながら、ピアノを弾かれるだろうな、
と、先生のすてきなクセを思い出したからです。

美しい旋律に出逢うたびに、美しい和音に遭遇するたびに、
先生は、ピアノを弾きながら、そのしぐさをされました。
うれしくてうれしくて仕方がない、というように。

讃美歌は、1節も 2節も 3節も、すべて同じメロディーですが、
そこについている歌詞は、節ごとに、カラーが変化し、
賛美の思い、信仰告白の内容が、次第に進展していきます。
だからこそ、どの節も、あらたな思いで 感動しながら、
心をこめて賛美したいと、また 思わされました。

  1.みどりもふかき 若葉のさと、
   ナザレの村よ、 汝がちまたを
   こころ清らに 行きかいつつ、
   そだちたまいし 人を知るや。

  2.その頭には かむりもなく、
   その衣には かざりもなく、
   ひとの住まいを ととのえつつ、
   主は若き日を 過ぎたまえり。

  3.人の子イエスよ、 君の御名を
   みつかいたちの ほむるときに、
   めぐみににおい 愛にかおる
   み足のあとを 我はたどらん。

                      (日本基督教団出版局『讃美歌』122番)


スポンサーサイト



Secret