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「主の山に備えあり」(創世記22:14)。
うれしい聖書の言葉です。
新年感謝礼拝で教えられました。

「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。
 神は真実である。
 あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、
 試練と同時に、
 それに耐えられるように、逃れる道も備えてくださるのである」(第1コリント10:13)。

心配事、悩み事、ドキドキ、そわそわ、クヨクヨ、
・・・毎日いろんなことがあるけれど、
善き方向に絶対に守り導いてくださる神様に信頼して、
新しい年も、軽やかに生きていきたいです。


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2013.02.08 あの日から…
突然、思いがけず、懐かしい方からお便りをいただきました。

私が若い頃 出席していた 浜寺聖書教会で、当時 高校生クラスのリーダーをしてくださっていた
N先生です。

いつも微笑みかけておられるような お優しい表情が、すぐに心によみがえりました。

1970年の4月19日に、私は友人のMさんに導かれて、初めて教会に足を運びました。

そして、その1週間後の4月26日、
礼拝のあと、先生は、礼拝堂の一番前のベンチに腰かけて、
(N先生・私・Mさんの順に横に並んで 腰かけていました)
福音を語ってくださいました。

信仰のこと、聖書のこと、まだ右も左もわからない私でしたが、
神様のお話を語ってくださったN先生の、その懸命さ、熱心さが、私に、
「ここには何かがある。きっと、このお話は真実。神様は生きておられる」
と、確信させてくれました。

その日があるから、今も、ずっと教会につながっています。
ずっと神様に導かれて歩んでいます。


聖歌隊で「御言葉よ ふりつもれ 我が胸に」という讃美歌を練習しています。

メロディーはユダヤに伝わる古い伝承歌"Oyf'n Pripetshik"。
シンプルで 哀愁を帯びた 美しい旋律。
映画「シンドラーのリスト」にも使われました。

歌詞は、いろいろな讃美歌の大切な歌詞のフレーズをつないで作ったものです。

タイトル および 歌詞の1行目の
「御言葉よ ふりつもれ 我が胸に」だけが、あらたに考えたフレーズですが、
タタタタタ タタタタタ タタターターター というリズムにしっくりきて、
気に入っています。

聖書の御言葉が、雪のように、たくさんたくさん、私の心に降り積もりますように。


  御言葉よ ふりつもれ 我が胸に
  主よ いのちの 御言葉を 語りませ
  今も 生ける 御言葉を 与えませ

  くりかえし くりかえし ひも解けど
  尽きぬは 神の真実 いのちの糧
  日々 新たなる力を 与えたもう

  くりかえし くりかえし
  くりかえし くりかえし

  御言葉を 我に 聞かせたまえ


フランク・シナトラの歌う
「 Have Yourself a Merry Little Christmas 」を聴いて、
うっとりしていました。

同じ曲を、ジャズピアノのアレンジ譜を見ながら弾いていると、
ますます、うっとり。

クリスマスが終わった途端、街のBGMは お正月ソングに切り替わったけれど、
私としては、一年中、クリスマスソングでうっとりしたいです。

インマヌエル。 神 共にいます。
一年中、その喜びと感謝を憶えていたいです。


新しい年も、元旦礼拝からスタートし、
大切な御言葉を教えられました。

「兄弟たちよ。
 私はすでに捕えたとは思っていない。
 ただこの一事を努めている。
 すなわち、後ろのものを忘れ、
 前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
 目標を目ざして走り、
 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる
 神の賞与を得ようと努めているのである」
          (ピリピ人への手紙3:13.14)

この1年も、神様のお赦しとお導きの中で、謙虚に歩んでいきたいです。
ひたすらに追い求めつつ。


この12月は、‘もんたった’のライブが12回ありました。
病院・高齢者施設・地域の行事など、様々なクリスマスのイベントにお招きいただき、
いろいろな方々と お交わりができて 幸せでした。

きょうは、今年の最後の演奏で、たまたまイベントが3つ重なりました。
午前は‘御池ゆりかご会’、
午後は‘御池台小学校のびのびルーム’と‘福田の郷’。
どちらの会場でも、クリスマス曲を中心に組んだプログラムでした。
一期一会の想いで、心をこめてクリスマスの喜びを伝える気持ちで演奏しました。

演奏させていただくのも うれしいですが、
聴かせていただくのも うれしいです。
高齢者施設の職員の方々の「きよしこの夜」の真剣なハンドベル合奏をお聴きしていて、
愛のあふれる 大きなクリスマスプレゼントをいただいた気持ちがしました。

そういえば、朝の‘御池ゆりかご会’の誕生月リクエストコーナーでは、
12月生まれの私は、森岡さんに「御子の生まれた部屋のことを」という讃美歌の独唱をお願いしました。
なんという贅沢でしょう。
なんという幸せでしょう。
こんなに素晴らしい讃美歌を直々に聴かせていただけるとは。

森岡さんの独唱の 魂のこもった一言一言に打たれながら、
本当のクリスマスの幸せの意味を、もう一度、教えられました。


  御子の生まれた部屋のことを
  私は今も忘れません
  そこには聖い宝がある
  忘れられないクリスマスよ

  どうして御子は
  みすぼらしい馬舎の中に生まれたのか
  どうして御子は
  着物もなく まぶねの中に寝かされたか

  鳥はねぐらに夜は眠り
  狐は穴を覚えている
  けれども御子は枕もなく
  おやすみになる家さえ無い

  私の心 住まいにして
  どうか主イエスよ 来てください
  私は今はあなたのもの
  心の家に来てください

   (聖文舎『教会讃美歌』38番)



2012.12.23 うれしい収穫
クリスマス礼拝のあとの祝会で、
「うれしい収穫」という歌を演奏しました。
久々の「oimo wakakimo」の5人組で。

「明日があるさ」の替え歌です。

心のこもった朗読、
明るい歌声、
若々しいギター、
さわやかなフルート、
落ち着いたベース、
ピアニカとピアノも。

きょう洗礼を受けたSさんの歌声は、特に明るかったです。
うれしかったです。



1.うれしい春だ 収穫だ
 たくさん 麦が実ったよ

  ※受け取りましょう 分け合いましょう 神様ありがとう
   私のために あなたのために すべての人のために

2.うれしい夏だ 収穫だ
 たくさん オリーブ実ったよ
  ※

3.うれしい秋だ 収穫だ
 たくさん ぶどうが実ったよ
  ※

4.うれしい冬だ クリスマス
 いちばん大きな贈り物
 神様はほら 神様はほら 与えてくださった
 私のために あなたのために すべての人のために
 大きな愛 限りない愛 神様ありがとう

(「主に救い出されたことを記憶して…」申命記24:14-22)


一昨日・昨日に引き続き、
今日も 台湾出身のYさんのレッスンの時の話です。

讃美歌を歌いたい、というYさんのリクエストがあったので、
讃美歌の中でも特に有名な「いつくしみ深き」を練習することにしました。

日本語を勉強中のYさんにとって、
文語の歌詞は、聴き慣れない言葉が多そうです。

「まず出だしから、聴き慣れない言葉かも知れませんね。
 『いつくしみ』というのは、‘愛’のことです。love です。
 『いつくしみ深き友なるイエスは』というのは、
 どこまでも愛してくださるイエスさま、
 friend のように私のことを愛してくださるイエスさま、
 という意味です」と私。
「なるほど。 love … friend … 」とYさん。

「『罪・とが・憂いを取り去りたもう』というのは、
 私たちの悪いこと・悲しいことを、全部、無しにしてくれる、
 ということです。
 『罪』はsin、
 『とが』は、あれ? 何かな? 『罪』と同じかな?」

説明しながら、私自身が、いちばん勉強になっている気がします。

「『心の嘆きを包まず述べて』は、
 心の中の悲しい気持ちや苦しい気持ちのことを
 全部、隠さないで、包んでいた風呂敷を開いて、神様にお話しする、
 ということです」

「『などかはおろさぬ、負える重荷を』というのは、
 なぜ重荷をおろさないのですか? おろしましょうよ、
 という意味です。
 神様のところに重荷を全部おろしましょう、
 悩みごと、悲しいこと、苦しいこと、
 何もかも、神様の前に告白すれば、
 その重荷を神様がなんとかしてくれますよ」

すると、Yさんは、
「わかった!
 心の風呂敷を開いて、
 心を pure にして、神様の前に行けばいいのね」
とうれしそう。
「そうそう、そうなんですよ!」
私もうれしくなりました。

今週は、1節の歌詞だけをじっくり味わって、
いっしょに歌いました。
私にとって、長年 歌い慣れていたはずの「いつくしみ深き」の讃美歌が、
また新たな意味をもって迫ってきました。
感謝です。

来週、さらに2節3節に進むのが楽しみです。

英語の予習をしようと思って、今、原語の歌詞を調べてみました。
英和辞書を引きながら、その歌詞を味わっていると、
さらに、いつくしみ深き友なるイエス様のことが
詳しく示され、感謝でした。


What a friend we have in Jesus,
all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit,
O what needless pain we bear,
all because we do not carry everything to God in prayer.

Have we trials and temptations?
Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged;
take it to the Lord in prayer.
Can we find a friend so faithful
who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness;
take it to the Lord in prayer.

Are we weak and heavy laden,
cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge;
take it to the Lord in prayer.
Do thy friends despise, forsake thee?
Take it to the Lord in prayer!
In his arms he’ll take and shield thee;
thou wilt find a solace there.


水曜日の夜は、祈祷会です。
今夜は、ヨハネによる福音書2:13-25から、
聖書の教えに耳を傾け、共に語り合い、学び合いました。

「弟子たちは、
 『あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう』
 と書いてあることを思い出した」(17節)。

「それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、
 弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、
 聖書とイエスのこの言葉とを信じた」(22節)。

その2つの聖句が、きょうは特に、心に響きました。
イエス様の弟子たちって、
よく、ピピン!ときたのだな、と。

いつもイエス様の語られた言葉を心に留めるようにしていたからだと思います。

神様のことが分からない、聖書の言葉の意味が分からない、
深い意味が分からない、そこから何を教えてくださっているのか分からない、
…としても、
今すぐには分からなくても、
つねづね、日々、聖書の言葉を心に蓄えるようにしていれば、
必要な時に、ピピン!と、「ああ、そういうことだったんだ!」と、
分からせてくださる日がくるのだと思います。

御言葉よ、降り積もれ、我が胸に。


森岡政五郎さんの独唱賛美、心に沁みました。


1.冠も天の座も 惜しまずに捨てて
 地にくだる御子イエスを 泊める部屋はない
 おいでください イエスよ ここに この胸に

2.御使いが声高く 栄光歌うとき
 御子イエスは 馬小屋で 産声をあげた
 おいでください イエスよ ここに この胸に

3.きつねには穴があり 鳥に巣はあるが
 神の子の休まれる寝床は 荒れ野だ
 おいでください イエスよ ここに この胸に

4.悲しみ悩む者を 解き放つイエスを
 ゴルゴタで苦しめた 人の罪深さ
 おいでください イエスよ ここに この胸に

5.天国に 永遠の部屋を備えられ
 勝利の主は 私をみもとに呼ばれる
 喜びにあふれて 主のもとに行こう
 主イエス・キリストよ ついてゆきます

                        (『讃美歌21』443番)

きょうは日曜日。

礼拝で、ヨハネによる福音書の2章1~12節から
「ぶどう酒に変えられた水…今までとっておかれました」と題して、
牧師先生から説教をお聞きしました。
カナの婚礼で水をぶどう酒に変えられた奇跡の物語です。

きょうは、この「とっておき」という言葉を、うれしく受けとめました。

神様は、私たちに、どんなときも、いちばん素晴らしいことをしてくださる。
神様のご計画は、その当座は、私たちには意味が理解できなくても、
きっといちばん良いことにつながるようにしてくださる。
そのことをあらためて教えられました。

神様。 いつも、とっておきのプレゼントをありがとうございます。


2012.09.12 矢印の人
水曜日の夜は、祈祷会です。
今夜は、ヨハネによる福音書1:19-34から、
聖書の教えに耳を傾け、共に語り合い、学び合いました。

その箇所には、‘バプテスマのヨハネ’と呼ばれている人物が登場し、
彼は自分のことを
「わたしは、預言者イザヤが言ったように、
 『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」
と言いました。

自分のことを「声である」と言った、その言い方がおもしろいと思いました。

イエス様のことだけを指し示し、
「主の道をまっすぐにせよ!
 皆さん、神様のほうだけをみましょう!」と叫ぶ、
その声を出すという使命だけに生きた人。

矢印のような人だと思いました。

私がそのように感想を述べると、
隣の席に座っておられた方が、関連して、
「ボンヘッファーの『この人を見よ』という素晴らしい著作がありましたね」
と教えてくださいました。

私は、その本はまだ読んだことがありませんが、
きっと、キリストだけを見上げつつ歩むことについて書かれているのだと思います。

さらに関連して、同じテーマの讃美歌を思い出しました。


  1.馬槽のなかに うぶごえあげ、
   木工の家に ひととなりて、
   貧しきうれい、 生くるなやみ、
   つぶさになめし この人を見よ。

  2.食するひまも うちわすれて、
   しいたげられし ひとをたずね、
   友なきものの 友となりて、
   こころくだきし この人を見よ。

  3.すべてのものを あたえしすえ、
   死のほかなにも むくいられで、
   十字架のうえに あげられつつ、
   敵をゆるしし この人を見よ。

  4.この人を見よ、 この人にぞ、
   こよなき愛は あらわれたる、
   この人を見よ、この人こそ、
   人となりたる 活ける神なれ。

            (日本基督教団出版局『讃美歌』121番)


バプテスマのヨハネのように、神様だけを見つめて、
その一方向だけを指し示す生き方ができたらと思います。


きょうは日曜日でした。
礼拝のあと、聖歌隊で フォーレの「主は死につながれ」を練習しました。
原曲は「パヴァーヌ」ですが、
主イエス・キリストの十字架の死をテーマにした歌詞を重ねて、讃美歌として歌っています。

週を追うごとに 少しずつ進歩していて、
だんだん いい感じになってきて、
本当にうれしいです。

伴奏のPさんは、
原曲のオーケストラのように、豊かな音の重なりをピアノでしっかり弾いてくださいました。
ソリストのQさんRさんも、難しい中間部を繰り返し練習してくださいました。
そして、何といっても、全員のユニゾン唱が素晴らしい。

たった1小節の前奏のあと、いきなり始まる 力強いユニゾン
 ♪主は死につながれ 我が罪を解き
  主はよみがえりて いのちをたもう
の部分で、指揮をしていた私は、思わずニヤッと笑ってしまいました。

笑うような内容の歌詞ではないのに。不謹慎な。
…と、一瞬 思いましたが、いえ、でも、やはり、うれしかったのです。
あんまり うれしくて、おもわず、笑ってしまったのでした。

短調のメロディー。キリストの受難を物語る 重い歌詞。
けれど、それは、力強い喜びの歌でした。
歌詞を味わえば味わうほど、
そこには希望があり、喜びがあり、神様への感謝があるのでした。

9月23日の礼拝の中で賛美するために、
あと2週間、教会でも、それぞれの家庭でも、しっかり練習したいと思います。
心から神様に感謝して、あふれる想いで、誠実に賛美ができますように。



きょうも、ひたすらパソコンに向かって 編曲をしていました。
先日のブログにも書きましたが(2012.08.26.)
ここのところ、フォーレの「バヴァーヌ」を素材にして、
聖歌隊で合唱するために、
信仰の歌詞をつけたり、合唱編曲をしたり、ピアノ伴奏譜を作ったりしていたのですが、
今夜、やっと書き終えました。

その楽譜は、カワイのスコアメーカーで作成したのですが、
完成した楽譜ファイルのサイズは、587KBでした。
久々に見る 重たい楽譜です。
題名は、「主は死につながれ」。

夕方には、ブラームスの交響曲第1番終楽章の有名なテーマから成る讃美歌
「すべてのもの統らす神よ」(讃美歌第二編59番)の合唱編曲をしていました。
もともとはユニゾンの讃美歌だったのですが、
聖歌隊では、高音パートと低音パートのそれぞれの味を生かす合唱にしたくて。

レッスンで、ドビュッシー。
夕方は、ブラームス。
夜は、フォーレ。

一日中、巨匠たちの作った名曲が、心の中で鳴り響いていました。
ドビュッシーさん ありがとう、ブラームスさん ありがとう、フォーレさん ありがとう。
そして、何より、神様ありがとうございます。
神様が作ってくださった音楽に、心から感謝しています。


2012.08.26 編曲ラッシュ
編曲、大好きです。

前から好きだった美しい楽曲を、
たとえば、聖歌隊で歌うとしたら?
‘もんたった’で歌うとしたら?
あの人のソロで歌っていただくとしたら?
あの人とあの人の2重唱では?
レッスン生のリトルピアニストさんが弾くとしたら?
この楽器とあの楽器で合わせるとしたら?
…などなど、演奏者の顔ぶれを思い浮かべて、いろいろ工夫をするのが楽しいです。

この3日ほどは、朝から晩まで、ほとんどパソコンに向かって、
ずーっと、ひたすら編曲をしていました。
演奏してくださる方々に楽譜をお渡しする期日が迫っていたもので。

3曲、編曲しました。

まず、ゴダールの「ジョスランの子守歌」。
高校生の時、音楽の授業のサブテキストで楽譜を見て以来、ずっと憧れてきた音楽でした。
心に響く柔らかなソプラノの美しいメロディー。
来月、教会の礼拝で、聖歌隊メンバーのⅠさんに独唱していただこうと、
メロディーに聖書の言葉や讃美歌の歌詞を重ねて、アレンジしました。
あらたな題名は、「心を尽くし、思いを尽くして」です。

続いて、讃美歌538番「過ぎゆくこの世」の聖歌隊合唱の、ピアノ伴奏譜を作りました。
5節まである讃美歌ですが、節ごとに歌詞のカラーが変化していくので、
ピアノ伴奏も、それにあわせて
平安、感謝、希望、献身、賛美といったイメージを表現するような音型にしたり、
対旋律を入れたりしました。

そして、昨夜の最後に書いたのは、フォーレの「パヴァーヌ」の編曲譜です。
これがまた、大好きな曲で。
聖歌隊の合唱と3人のソリストの独唱を組み合わせたアレンジです。
歌詞は、キリストの受難をテーマとした讃美歌の詩を、大いに参考にしました。

美しすぎるメロディー。美しすぎるハーモニー。
フランス近代印象派独特の浮遊感。
が、しかし、難しすぎるのではないだろうか…。
これが、昨夜の私の不安でした。
アルトさんとベースさんのパートは、特に臨時記号の#や♭がいっぱい。
「音がとれないよ~」とか「曲の良さがさっぱり分からない」とか言われたらどうしよう…。

きょう、礼拝後の聖歌隊練習のとき、新譜をお配りして 歌っていただくと…。
なんと、数回 練習しただけで、始めの16小節の合唱部分が いい感じにハモりました。
この16小節が、歌詞を変えて 3回繰り返されるのですが、
いずれの歌詞でも、すらすらと歌えました。
昨夜の心配は、杞憂に終わりました。
ホッと胸を撫でおろしました。

ソリストさんたちの独唱も楽しみです。
今夜から、ピアノ伴奏譜も作らなくっちゃ。
わくわくします。
神様、助けてください。
ずっとずっと、導いてください。


教会でのコンサートが終わって、約1週間が過ぎましたが、
あの日、演奏したり、共に歌ったり、共に聴いたりした数々の音楽が
いまだ 耳の奥で たえず リピートしていて、
ふと気が付くと、
それは大切な歌詞の断片だったり、美しいメロディーの断片だったり。
幸せな余韻が続いています。

ショパンの「ノクターン 遺作」 「バラード第1番」、
森下奈美さんの演奏、素敵だったなあ…
と思い出しながら、映画「戦場のピアニスト」のサウンドトラックの楽譜を眺めたり。

「つぶてソング」の橋本健一さんの朗読、素晴らしかったなあ…
と思い出しながら、もう一度、詩を読みなおしてみたり。

きょうの‘わいわい喫茶’では、勝手に「平和特集」ということで、
コンサートの曲目を、復習みたいに、かたっぱしから BGM演奏しました。

そういえば、前回の‘わいわい喫茶’でも、ほとんど同じ曲を弾いたような気がします。
その日はコンサートの前だったので、予習みたいに。 (笑)

「小さな世界」を弾けば、夏休みで来店の子どもたちがニコニコ、
「長崎の鐘」を弾けば、シニアの皆さんが歌詞もしっかり覚えていて一緒に口ずさんでくださり、
「ドナドナ」を弾けば、hum…hum…とハミングが聴こえてきました。

「死んだ男の残したものは」や「折り鶴」は、
どなたもご存知ないかも…、でも、熱い想いを込めてます、
という感じで、歌詞を思い浮かべながら、ぐいぐいドラマチックに弾きました。

午後、レッスンに来られたGさんは、
私の顔を見るなり、「お元気でした?」と訊いてくださいました。

「はい、普通に元気でしたけど…?」
「ブログが 8月15日以来 更新されていないので、
 もしかすると、コンサートのあと、ダウンされてるのかなと…」
「うわあ! すみません! すっかり ご心配かけちゃって…。
 まったく元気です。
 いつまでも コンサートの余韻にポワ~ンと浸っていて、
 なんとなく、ブログ、怠けてました」
「毎日、パソコン開いては、新しい記事あるかなって、見てみてるんですよ」
「うわあ、すみません! ありがとうございます!」

こんな拙いブログでも、毎日、見てくださっていたんですね。
励まされました。
いつのまにか、拍手もしてくださっていて。

いつも、どなたかが、いつのまにか読んでくださっている。
とても励まされます。
ありがとうございます。

自分の中には、誇れるものは何もないけれど、
神様のことを誇りたいと思います。

神様から教えられたこと、
神様から赦されたこと、
神様から与えられたこと、
神様がくださる希望を
これからも語り続けたいと思います。


きょうは教会でコンサートでした。
「うたごえの夕べ ~ 平和への祈りをこめて」。

夜6時半から、約2時間のプログラムでした。

1.平和の道具にしてください
2.明日という日が
3.死んだ男の残したものは
4.いのちの歌
5.少年時代
6.ドナドナ
7.戦争は知らない
8.小さな世界
9.キリストの平和が
10.ノクターン 遺作 嬰ハ短調(ショパン)
11.バラード第1番 ト短調(ショパン)
12.折り鶴
13.長崎の鐘
14.勝利をのぞみ
15.あなたはどこに
16.誰もいない福島
17.重なり合う手と手
18.神よ、たまえ 平和を
19.平和の道具にしてください

多くの方々がお集まりくださり、
共に音楽を味わいながら 平和について想いを馳せ、
共に平和の歌を力強く合唱しました。

神様に祝福され、豊かな時を過ごすことができたことを
心から感謝しています。

プログラムの15.16.17.は、
東日本大震災と原発事故に対する 悲しみと怒り、
そして生きていく勇気を込めてつくられた
「つぶてソング」(作詞:和合亮一、作曲:新実徳英)の中の3曲でした。

「あなたはどこにいますか」という歌詞をうたっていたとき、
そこには、いろいろな意味があるのだなと思いました。

震災で大切な家族を、友人を亡くされた方々にとっては、
その喪失感は はかり知れず、
「あなたはどこにいますか」と、これから先も、ずっと問いつづけていかれることでしょう。

あるいは、この言葉は、
生きる希望を失くしそうになっている人々に対する問いかけかも知れません。
あなたは今、どんな思いの中で生きていますか?と。

あなたの心は壊れていませんか。
あなたの心は行き場を失っていませんか。

その問いかけは、
共に生きよう!という励ましにつながっていきました。

「あなたの命も、私の命も、決して奪われるためにあるのではない」という歌詞をうたったとき、
あらためて、神様が私たち一人一人にお与えくださった命の大切さを思いました。

あなたはどこにいますか。
そう問いかけられて、
私は、「主よ、私はここにいます」とお応えしたいと思いました。
神様に信頼して、神様から目を離さずに、まっすぐに従っていく道を歩みたいと思いました。


2012.08.12 oimo wakakimo
8月15日のコンサート「うたごえの夕べ ~ 平和への祈りをこめて」の伴奏チームとして
Aさん・Bさん・私の3人で にわか練習をした話を 先日のブログで書きましたが(2012-08-01)、
その後、さらにCさんDさん親子が加わってくださることになり、
5人組のバックバンドとなりました。

Aさん…ギター
Bさん…ウッドベース
Cさん…ギター
Dさん…フルート
私…ピアニカ&ピアノ

若々しいギター、中年のフルート、孫もちのベース&ピアノ、
なんだか大家族みたいな おもしろい構成メンバーになりました。

いざ音を鳴らしてみると。
これがいいんですよね、いろんな楽器がうまい具合に響き合って。

2本のギターが、ポロポロン、ジャンジャカジャン、
ベースが、ズンズン、
フルートが、ヒュルルル~ン、
ピアニカが、プップクプ~、
ピアノは、パラララ~ン。
家族で楽しい会話をしているような音になりました。

5人で 心を合わせて、歌いながら 楽器を弾いていたら、
うれしくてうれしくて、「このバンド、ずっと続けたいね」と気分が盛り上がってきました。

バンド名は‘oimo wakakimo ’ (老いも若きも)に決定。

コンサート当日は、さらに大きく輪が広がって、
教会堂いっぱいに、平和の歌声が響きわたりますように。


2012.08.05 小さな世界
8月15日のコンサートで、ピアニストの尾形真菜さんと共に「小さな世界」を演奏します。
ピアニカとピアノの2重奏です。

楽器の2重奏なので、声で歌詞を歌うわけではないのですが、
心の中で歌詞を味わいながら、平和を願うメッセージを伝える気持ちで演奏できたらと思っています。

♪世界中だれだって ほほえめば なかよしさ
 みんな輪になり 手をつなごう 小さな世界

ところで、昨日、赤坂台ふるさと祭りで、
knit というユニットによるアイルランド音楽の演奏をお聴きして、とても感動しました。
フルート、ギター、フィドル、パーカッション。
3人の呼吸がぴったり合って、
アップテンポの曲も、スローテンポの曲も、
聴く者の心をわしづかみにして ぐいぐい引っ張っていく感じがしました。

何故、こんなにも吸引力があるのでしょうか。
3人それぞれに圧倒的なハイレベルのテクニックを持っておられることはもちろんですが、
それだけじゃなく、音楽を心から楽しんで演奏しておられる、
その 楽しくて楽しくてたまらない感じがみなぎって、
一緒に行こうよ、一緒に楽しもうよ、と聴衆に向かって ものすごい迫力で誘いかけてくれる、
そこにknit さんのほとばしる愛を感じました。

傍観者では いられない。
ステージを囲む聴衆は、笑顔が伝染し、手拍子を打ち鳴らし、
曲にあわせて踊りだした人も 何人か いました。

初めて聴くアイルランド音楽でも、前から知ってるような気がしました。
「世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ」
そんな歌詞を思い浮かべながら聴いていました。
音楽という世界共通語のおかげで、
そこに込められた喜びも悲しみも、通訳なしに聴きとることができたように思います。

knit さんの 心のこもった熱い演奏に、大変 感銘を受けました。
もうすぐ8月15日。
私も倣って、あふれる想いを熱く語るような、そんな演奏ができたらと思います。


2012.08.01 にわかバンド
8月15日のコンサート「うたごえの夕べ ~ 平和への祈りをこめて」に向けて、
いろいろな準備をしています。

きょうは、会衆の皆様と共に歌う予定の6曲
 「少年時代」
 「ドナドナ」
 「戦争は知らない」
 「折り鶴」
 「長崎の鐘」
 「We shall overcome」
について、
Aさん(ギター)、Bさん(ウッドベース)、私(ピアノ)の3人で
伴奏の打ち合わせと練習をしました。

20代のAさんは、
「『少年時代』と『ドナドナ』はなんとなく知ってましたけど、
 それ以外の4曲は 初めて聴くような…。
 あ、でも、歌の好きな父が口ずさんでいたような気もします」

Aさんと親子ほど齢の離れた私は、
「『戦争は知らない』は、
 私が高校生の頃、フォーククルセダーズっていうグループが歌ってたんだけどね」とか、
「『We shall overcome』は、アメリカ公民権運動のテーマ・ソングのようにうたわれた歌らしくて、
 フォーク歌手のジョーン・バエズっていう人の歌声が、なんとなく記憶に残ってるのよね」とか。

私の一回り上ぐらいの年齢のBさんは、
「『長崎の鐘』もいい歌だね。藤山一郎だったよね」とか。

曲によって、感想は3人それぞれに
「はじめまして」だったり「ちょっと知ってる」だったり「懐かしいなあ」だったりでしたが、
それでも、楽器の音を出し始めると、これが楽しいのなんの。

年齢差なんか関係ないです。
ポロポロン、ジャンジャカジャン、ズンズン、パララ~ン♪
きれいに音が重なり合う シアワセ。
Aさん、いいギター、弾いてくれますねぇ。
Bさん、いいベース、弾いてくれますねぇ。
私も、ピアノ、頑張ります。

3人で 心を合わせて、歌いながら 楽器を弾いていたら、
バンドを組んでるみたいで、うきうきしてきました。

コンサート当日は、さらに大きく輪が広がって、
教会堂いっぱいに、平和の歌声が響きわたりますように。


きょうは日曜日。

礼拝では、「外なる人は滅びても、内なる人は新しくされて…老いと死」と題して、
牧師先生から説教をお聞きしました。

「だから、わたしたちは落胆しない。
 たといわたしたちの外なる人は滅びても、
 内なる人は、日ごとに新しくされていく」(コリント人への第2の手紙4:16)。

続けて 礼拝後に、「高齢者支援セミナー」が開催されました。

新しい介護保険制度、認知症対策、終末期医療などのテーマで、
発題者の方々から よく準備された わかりやすいお話をお聞きし、勉強になりました。

神様がいつも共にいてくださるので、
老いの坂も、ぼちぼち、安心してのぼっていきたいと思いました。


   主の とうとき みことばは
   わがいのちの もといなり。
   たよるわれは 安けしや、
   世にまたなき みことばよ。

   「ただ我のみ 汝が神ぞ、
   おそれず行け、ためらわで。
   ちからつよき わがかいな、
   なれにそいて はなれじな。

   なやみの火は 燃えあがり、
   なげきの河 あふるとも、
   めぐみの手に すがりなば、
   つねに勝ちて あまりあらん。

   老いの坂を のぼりゆき、
   かしらの雪 つもるとも、
   かわらぬ わが愛に おり、
   やすけくあれ、わが民よ」

                 (日本基督教団出版局『讃美歌』284番)


高齢者介護施設‘パナソニック・エイジフリー泉大津デイセンター’で演奏しました。
‘もんたった’の3人組で。

前月に利用者さんからお聞きしていた リクエスト曲も含めて、毎回 約10曲 1時間のプログラム。
今回は「サントワマミー」「南の島のハメハメハ大王」「死んだ男の残したものは」
「いのちの歌」「波浮の港」「踊子」「カチューシャ」「メリー・ウィドウ・ワルツ」など。

Pさんは、いつも 讃美歌をリクエストされます。
「来月もまた、讃美歌、聴かせてほしいわ。
 讃美歌やったら、なんでもええさかいに。
 私、昔、ミッション スクールの女学校に行ってたんよ。
 そやから、讃美歌きいてたら、ものすご 懐かしいねん。」と。
 
「いつくしみ深き」「アメイジング・グレイス」「うるわしの白百合」など
今まで、有名な讃美歌をいくつか演奏してきましたが、
きょうは、‘ロンドンデリーの歌’に歌詞が付けたられた「この世の波風さわぎ」
を選びました。

私は、ミッションスクールの女学生ではなかったけれど、
やっぱり讃美歌は、いつも懐かしくて、
歌っているうちに、信仰の歌詞が、心に沁みこんできました。


 1. この世の波風さわぎ
   いざない しげき時も
   悲しみ嘆きの嵐
   胸にすさぶ時にも

     み前に集い 祈れば
     悩み去り 憂きは消ゆ
     いざ共にたたえ歌わん
     恵みふかき主の御名

 2. ひとつの望みに生くる
   はらから共に集い
   互いに仕え むつめば
   世になき安き満ちて

     あめなる喜びあふる
     うるわし神の民よ
     いざ共にたたえ歌わん
     恵みふかき主の御名

            (日本基督教団出版局『讃美歌第二編』157番)


2012.07.23 断水
今朝、突然、水が出なくなりました。
近くで 古い水道管が破裂したそうで、
堺市南区と和泉市の一部の計約3万3千戸で
断水やさびが混じった水が出るなどの影響が出たそうです。
…と、あとからニュースで知りました。

とにかく、最初は事情がわからなくて、
のちほど事情がわかってからも、水が出ないということは、どうしようもないことで、
こんなに大変なことなんだと、初めて知りました。

今は濁っている水も、たぶん明日にはきれいな水に戻りそうですが、
もっともっと大きな さまざまな災害で、ライフラインが 長い間 なかなか復旧しなかった、
そういう経験をされた方々は、どんなにご苦労をされたことか、
水が出ないということ一つだけとっても、どんなに大変だっただろうかと、
あらためて思わされました。

また、昨日、教会の礼拝で教えられた聖書の言葉が、
もう一度、心に響いてきました。
それは、水に喩えて語られた、イエス・キリストの言葉でした。

「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、
 わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
 永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネによる福音書4:14)。

私たちの人生は、神様の言葉によって生かされ、潤されていることを
あらためて教えられました。


2012.07.22 長崎の鐘
来たる8月15日に、堺キリスト教会で、
「うたごえの夕べ ~ 平和への祈りをこめて」
と題して、コンサートを開催する予定です。

独唱や独奏、聖歌隊の合唱、
また、その日初めて教会にいらしてくださった方々も ご一緒に
皆さんで声をあわせて、平和を求める たくさんの歌をうたいたいと、
今、準備を進めているところです。

「ドナドナ」
「戦争は知らない」
「折り鶴」
「We shall overcome」
「長崎の鐘」

どの曲も、今 歌詞を読みなおしてみると
平和への祈りがこめられていることをあらためて強く感じました。

「長崎の鐘」は、
高校の修学旅行(北九州方面)のバスの中で
ガイドさんが心をこめて歌ってくださったのを思い出します。

辛く重く悲しい雰囲気の短調のメロディーは、
後半、突然に長調に変わって、希望があふれてくる感じがしました。
「なぐさめ」「はげまし」という大切な言葉が、その明るいメロディーとマッチして、
長い雨が止んで 虹が空に架かったときのような幸せを感じました。

何十年も前から 歌い継がれてきた音楽ですが、
今年もまた、平和を祈り求めて、共に歌いたいと思います。


   こよなく晴れた 青空を
   悲しと思う せつなさよ
   うねりの波の 人の世に
   はかなく生きる 野の花よ

     なぐさめ はげまし 長崎の
     ああ 長崎の鐘が鳴る

   召されて妻は 天国へ
   別れてひとり 旅立ちぬ
   かたみに残る ロザリオの
   鎖に白き わが涙

     なぐさめ はげまし 長崎の
     ああ 長崎の鐘が鳴る

   こころの罪を うちあけて
   更け行く夜の 月すみぬ
   貧しき家の 柱にも
   気高く白き マリア様

     なぐさめ はげまし 長崎の
     ああ 長崎の鐘が鳴る

                 サトウハチロー作詞・古関裕而作曲


きょうの礼拝の中での聖歌隊の賛美は、
「キリストの愛、われに迫れり」という曲でした。

心をこめて賛美したつもりですが、
あれこれと課題はいつも感じます。
「高い音の部分で、声があまり出なかった」とか、
「言葉の発音があまり明瞭じゃなくて、歌詞をうまく伝えられなかったかも」とか、
「4つのパートの歌詞のタイミングがぴたっと揃わない箇所があった」とか、
「音程が不正確で、合唱のハーモニーがきまらない箇所があった」とか、
いろいろです。

指揮をしたときも、
合唱したときも、
伴奏をしたときも、
自分のこととして、つねに反省点や今後の課題があり、
また頑張らなくっちゃとか、しっかり練習しようとか思わされます。

それはそうなんだけど、
こんなにも拙くて不十分な私たちの賛美の歌声をも、神様はきよめて用いてくださるんだ、
ということも、同時に教えられ、感謝です。

きょう、聖歌隊賛美を終えたあと、ふと見ると、隣の席に座っておられた新来者の方が、
ハンカチで涙をぬぐっておられました。

「感動しました」と、あとで話してくださいました。

それは素晴らしい歌詞の讃美歌でした。
神様が私たち聖歌隊の賛美を用いてくださって、
足りないところを補ってくださって、
その信仰の歌詞の一つ一つを、大切なメッセージを
その方の心に届けてくださったのだと思います。


  1. 罪深きわが身に代わり
    キリストは十字架につき
    生命さえ惜しまず捨てて
    贖いをなしとげたまえり

   ( くりかえし )
    キリストの愛われに迫れば
    わが命きみにささげて
    ひたすらに主のために生く

  2. 価なきわれさえ召して
    キリストはよき福音(おとずれ)を
    世の人にたずさえゆけと
    手をおきて遣わしたまえり

  3. わが命尽きるその時
    キリストは栄えの冠
    与えんとちかいたまえば
    今日もまたみ業に励まん

                    (日本バプテスト連盟『新生讃美歌』634番)


‘もんたった’の3人で集まって、3つのコンサートの演奏曲目を相談しました。

7月25日…グループホーム美樹の園
7月26日…パナソニック・エイジフリー泉大津デイセンター
7月31日…美木多小学校のびのびルーム

演奏を聴いてくださるのは、その場所その場所で 高齢者の方々だったり、小学生だったり。
また、お聴きくださる方によって、音楽のお好みも様々でしょうけれど、
童謡・懐メロ・最新のヒット曲・映画音楽・クラシック・ポップス・オペレッタなど
いろいろ取り合わせて、
どれか1曲でも、喜んでいただけたらと願って、いつも選曲しています。

そして、いちばん最後の演奏曲のあとに、
「もし、アンコール!のお声をいただいたらどうする?」というところまで
一応、相談しておくのですが、
「やっぱり、アンコールと言えば、アレだよね」
「そうね、アレがいいね」
「うん、いつものアレにしよう」
と、3人が一致して、いつも選ぶアンコール曲のアレとは、
「Amazing grace」です。

ピアノ曲として編曲した楽譜のことは、
以前に書きましたが(2012.03.23.のブログ)
ソプラノ・バリトン・ピアノのトリオのために編曲した「Amazing grace」もまた、
お気に入りです。

単にメロディーとか曲の雰囲気が好き、というような 音楽の好みの気持ちからだけでなく、
その讃美歌の大切な歌詞を心から味わって、感謝しつつ、
歌声と楽器の演奏を通して、多くの方々にその福音のメッセージを伝えるために、
ずっとずっと歌い続けたいと思っています。


   ああ 私さえ
   神様は 深く愛しておられる
   ああ なんと大きな愛
   驚くべき その恵み       (日本語歌詞:ゆかいな鍵盤屋)


8月15日のコンサート
「うたごえの夕べ ~ 平和への祈りをこめて」に向けて、
聖歌隊は、きょうから 「神よ、たまえ平和を」の練習を始めました。

この曲は、讃美歌第2編に載せられていて(203番)、
メロディーは、作曲者不詳の輪唱歌、
歌詞は、ローマ教会ミサ通常文からで、
Dona nobis pacem という言葉の繰り返しになっています。
それは、「私たちに平和を与えてください」という意味だそうで、
日本語の歌詞は、以下の通りです。

  神よ、たまえ平和を、かみよ、たまえ平和を。
  いま、平和を、われらに平和を、
  いま、平和を、われらに平和を。         (訳詞:山本尚忠氏)

メロディーも歌詞もシンプルですが、
短いフレーズを繰り返すことによって、その言葉の大切な意味がぐんぐん胸に迫り、
輪唱というスタイルで唱和することによって、その喜びがさらに広がるように感じました。

今回、その歌の序奏になるような 22小節の詩とメロディーを、作ってみました。

  見上げましょう、神様を。 うれしいときも、かなしいときも。
  祈りましょう、神様に。 ありがとうも、ごめんなさいも。
  そして、歌いましょう、平和を求める歌を。
  この世界も、私の心も、
  神様の平和で満たしてくださいと。

この呼びかけのような歌をうたってから、
続けて いつもの輪唱のメロディーに入るという構成です。

コンサートでは、聖歌隊がまず歌い、
その後、お集まりの会衆の皆様と共に輪唱したいと考えています。
心から神様の平和を祈り求めて、皆様と高らかに輪唱したいです。


子どもの頃、私は たいへん内気で、ものすごく恥ずかしがり屋で、
家族以外の人には心が開けなくて、
集団生活が苦手で、
できることなら 幼稚園も学校も行かずに、ずっと家にいたいと思っていました。

毎朝、出発時間になると、悲しい気持ちになりました。
「きょうは、休んでもいい?」と、毎朝、尋ねる私に、
「そう、休みたいの…。
 でも、きょうだけ頑張ってみたら?
 行ってみたら、楽しいこともあるかも知れないよ」
と、母は、毎朝、やさしく励ましてくれました。

ガツンと怒られたことは一度もありません。
毎朝、いろんな言葉で励ましてくれました。

「きょうは4時間だけでおしまいだから、すぐ終わるよ」
「きょうは算数が楽しいかもしれないよ」
「きょうの給食は、あなたの好きな‘ちくわの磯揚げ’よ」
「きょうは金曜日だから、きょうとあした 頑張ったら、あさっては日曜日!」

言葉数の少ない私は、
「ほんなら行こか…」と、毎朝、同じ言葉を言って、しぶしぶ立ち上がりました。

ランドセルを背負って家を出ると、
母が家の前に立って、ひらひらと 手を振ってくれました。
私は、とぼとぼと歩いては、何度も何度も振り返りました。
何度振り返っても、母は笑顔で手を振り続けてくれていました。

それを何年間続けてくれたことでしょう。
母が振り続けてくれた優しい手のひらのおかげで、
私は小学校も中学校も なんとか通い続けることができました。

ふと気が付くと、
あんなに恥ずかしがり屋で
何か一言 話そうとするだけで緊張して、心臓がドキドキして、声が震えた私が、
いつのまにか 周囲の人々と ふつうに楽しく会話ができるようになっていました。

神様のこと、音楽のことを、伝えたくて伝えたくて、
今は、ブログを書いたりしています。
不思議です。

亡き母のことを思って作った「7月のそよ風に吹かれて」という歌を、
明日のコンサートで歌いたいと思います。
7月に天に召された母。
7月が巡ってくるたびに、母の手のひらを思い出します。


  そよ風が そよ風が 頬を撫でてゆく
  まるで 母の 手のひらのように
  振り返る 振り返る 何度も振り返る
  あの道を あの日々を あの頃の私を

  歩いてく 歩いてく 今日も 歩いてく
  あなたの面影を 胸に抱きながら
  いつの日か いつの日か もう一度 会いたい
  きっと逢える きっと逢える
  あなたに あなたに
  きっと逢えると信じて 歩いてく 今日も


「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい」(ローマ人への手紙13:14)。

きょう、特に教えられた聖書の御言葉です。

私たち人間の内側には、争う心や妬む心など、悪い思いがいろいろありますが、
聖書は、その悪いところを一つ一つ自分の努力で改善していきなさい、とは書いていなくて、
弱いところ、悪いところ、欠点があるまま、
その上からキリストを着なさい、と教えてくださっているのでした。

それは、神様の驚くべき恵みです。(Amazing grace!)
神様の愛は、私の罪をすっかり覆ってくださるのだと知りました。

洋服を着るように、
いつもキリストをこの身にすっぽり着させていただける、その恵みに感謝して、
その恵みに応えて、つつましく生きていきたいと思います。



8月15日のコンサートで、
聖歌隊は、「平和の道具にしてください」という曲を合唱します。

これは、アッシジの聖フランシスコの「平和を求める祈り」という詩を題材にしています。
取るに足りない小さな存在の私たちですが、
このような者をも 平和の使者として用いられれば、
との祈りをこめて、演奏させていただきたいと思います。


   あなたの平和の道具にしてください
   主よ 私をあなたの平和の道具に

    憎しみあるところに あなたの愛があるように
    悲しみあるところに 喜びがあるように

   あなたの平和の道具にしてください
   主よ 私をあなたの平和の道具に

    過ちあるところに 優しい心の赦しを
    疑いあるところに 信仰があるように

   あなたの平和の道具にしてください
   主よ 私をあなたの平和の道具に

    絶望あるところに 満ち溢れる希望を
    暗闇あるところに 光があるように

   あなたの平和の道具にしてください
   主よ 私をあなたの平和の道具に
   主よ 私をあなたの平和の道具に


                        (作曲:ゆかいな鍵盤屋)



「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
 彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5:9)。